令和元年 沖縄慰霊の日
6月23日、慰霊の日。
祖父母が元気なうちは、糸満市にある平和祈念公園まで毎年出掛けていました。
式典への大勢の参列者で糸満市内は大混雑。
車を公園の敷地内には停められず、少し離れた場所から、暑い思いをしながら歩いて向かったことを毎年思い出します。
74年前の今日も、蒸し暑く、そして希望の見えない恐怖に包まれた日だったことでしょう。
令和初めての沖縄全戦没者追悼式にて、
玉城デニー沖縄県知事は、ウチナーグチ(沖縄の方言)と英語を交えた平和宣言を行いました。
「アジアや世界の国々との架け橋になり、多様性に寛容で、平和を心から望む」ことが沖縄県の、そしてウチナーンチュとしての使命であると、
深く心に刻みたいと思います。

祖父母が元気なうちは、糸満市にある平和祈念公園まで毎年出掛けていました。
式典への大勢の参列者で糸満市内は大混雑。
車を公園の敷地内には停められず、少し離れた場所から、暑い思いをしながら歩いて向かったことを毎年思い出します。
74年前の今日も、蒸し暑く、そして希望の見えない恐怖に包まれた日だったことでしょう。
令和初めての沖縄全戦没者追悼式にて、
玉城デニー沖縄県知事は、ウチナーグチ(沖縄の方言)と英語を交えた平和宣言を行いました。
「アジアや世界の国々との架け橋になり、多様性に寛容で、平和を心から望む」ことが沖縄県の、そしてウチナーンチュとしての使命であると、
深く心に刻みたいと思います。
